野球部紹介

野球部の歴史
昭和期 戦後編①

 
 

昭和二十年~昭和三十七年 
 
野球部復活から胡桃沢監督時代まで
昭和二十年八月十五日、生徒たちは、講堂で天皇の終戦の詔勅を聞いて太平洋戦争は終わった。野球を始めようという動きはすぐにあった。しかし、野球部が復活したのは翌年の春だった。西沢寛が指導にあたり、その年は松本市中に県予選では勝ったが、信越予選で敗れた。昭和二十二年春の選抜が復活することになり、選考試合を経て、出場が決まり、大会では、宮澤澄也主将が選手宣誓をした。その年の夏は、出場資格の問題から直前でバッテリーが交代する事態となり、涙をのんだ。
昭和二十四年、卒業生の胡桃沢清が監督に就任した。胡桃沢は飛田穂洲に心酔して精神野球を徹底した。昭和二十五年、敗者復活戦から蘇り、戦後初めて夏の甲子園出場を果たした。大会では高根隆明主将が選手宣誓を行った。それから昭和二十九年まで輝かしい五年連続出場を果たした。昭和二十六年秋には北信越五県大会初優勝し、翌春の選抜大会に出場。二十九年の夏の中京商との一戦は、手に汗握る熱戦で、球史に残る名勝負と絶賛された。実力を評価され、国体に推薦されて、青函連絡船に乗って津軽海峡を渡った。
昭和三十三年には選抜十回以上出場校として表彰され、夏には四年ぶりに甲子園に出場した。三十四年には春は日大三を破り、夏は松坂商を破って、甲子園で連続して校歌を歌い、秋季東京国体で活躍した。
三十六年には野球部後援会などの尽力で、待望の野球部寮が薄川河畔に完成した。三十七年は春の北信越県大会を制したが、長野大会初戦に敗れ、春二回、夏七回という輝かしい甲子園出場記録をつくった胡桃沢清が引退し、暫定的に中島銀市が監督に就任。秋季北信越県大会に優勝した。
 
 
 

昭和期 戦後編Ⅰ 昭和21年(1946)~37年(1962)

・21(1946)

3月、朝日新聞松本支局で中等学校野球連盟結成準備会開催。4月、野球部活動再開。

7月、県下中等学校野球大会で野球部OB胡桃沢清が率いる松本市中と対戦し、ボーク問題から試合が中断し、後日松本市中の放棄試合と裁定されて優勝。「ボーク事件」という。

84日、第28回全国中等学校優勝野球大会信越予選決勝で松本市中に7-10で敗れた。

 

・22(1947)

2月、選抜中等学校野球大会選考試合を雪の名古屋鳴海球場で行い、松本市中に5-3で勝つ。 

3月、第19回選抜中等学校野球大会に7年ぶり8回目の出場をし、宮沢澄也主将(明治大・東急フライヤーズ)が選手宣誓を行う。京都一商に2-3で敗れた。

 

・23(1948)

4月、新制高校スタートし、松本商業から松商学園へ、中等学校野球連盟から高等学校野球連盟へとそれぞれ名称変更。

 

24年(1949)

7月、胡桃沢清監督就任。飛田穂洲の「一球入魂」の精神に心酔し、54条の「選手心得」を制定

 

・25(1950)

敗者復活戦から蘇り第32回全国高校野球選手権大会に10年ぶり9回目の出場を果たし、8月13日の開会式では高根隆明主将が選手宣誓をした。初戦斉々黌には3-5で敗れた。

 

・26(1951)

8月、第33回全国高校野球選手権大会に2年連続10回目の出場をし、平安に0-1で惜敗。

10月、第5回秋季北信越五県高校野球大会決勝長野商を3-2で破り、秋季初優勝

 

・27(1952)

3月、第24回全国選抜高校野球大会に5年ぶり9回目の出場をし、芦屋に2-5で敗れた。

5月、第6回春季北信越五県高校野球大会決勝で敦賀に10-6で勝ち、春季初優勝。

84日、第34回全国高校野球選手権大会信越予選決勝で長野商と対戦し、九回裏雷雨中断再開後の劇的な逆転で優勝。3年連続11回目の全国大会出場。初戦柳井商工に0-3で敗れた。

 

・28(1953)

8月、豪腕堀内庄(後に巨人投手)投手を擁し第35回全国高校野球選手権大会に4年連続12回目の出場をし、1回戦鳥取西に1-4で敗れた。

 

・29(1954)

816日、第36回全国高校野球選手権大会に5年連続13回目の出場をし、優勝候補の中京商に6-7で惜敗。飛田穂洲に「球史に残る名勝負」と激賞された。

10月、第9回国民体育大会高校野球競技に出場。札幌北に大勝したが、新宮に1-2で敗れた。

 

・32(1957)

526日、春の選抜優勝校早稲田実の招待試合で王貞治投手投打に活躍、右翼場外に本塁打。

82日、第39回全国高校野球選手権大会信越大会で新発田と対戦し、延長180-0でノーゲーム再試合となった。翌日7-1で勝ったが、準決勝で上田松尾に3-5で敗れた。

 

・33(1958)

4月、選抜高校野球大会30回を記念し、選抜大会10回以上出場校として表彰される。

8月、第40回記念として各都道府県から47代表が出場し、第40回全国高校野球選手権記念大会が開かれ、4年ぶり14回目の出場を果たした。初戦八女に5-8で敗れた。

 

・34(1959)

4月、第31回全国選抜高校野球大会に7年ぶり11回目の出場を果たし、日大三を6-0で破ったが、準決勝で中京商に0-3で敗れた。

8月、第41回全国高校野球選手権大会に2年連続15回目の出場を果たし、松阪商を5-4で破り、12日、飛田穂洲が激励に訪れた。15日、2回戦西条に延長103-5で敗れた。

この大会で塩原均外野手が優秀選手に選ばれてハワイ遠征メンバーとなった。 

10月、第14回国民体育大会秋季大会高校野球に出場し、静岡商、西条を破ったが、準決勝で日大二に0-4で敗れた。国体ベスト4。

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